北海道で学生だった頃に初めて沖縄へ行った。
3月だったが、北海道ではまだ雪が降っては積もっていた。
東京までは列車で行って、晴海ふ頭からフェリーで那覇まで。
まる一日かかったと記憶する。
海から沖縄本島が見えたときは何故か胸が熱くなった。
初めて来たのに、南国の島に近づくにつれて異国のような気がしていた。
南側を一周して那覇の港に着いた。
船内で友達になった若者と一緒に那覇の民宿に一泊した。
「ひこばえ」という民宿で、国際通りに近かったように思うが定かではない。
翌日はテレビで有名になったステーキ屋へ行った。
付け合せも何もなくただ分厚いステーキに重湯みたいなスープとご飯だった。
翌日は那覇から司令部のあった壕辺りに行った。
観光地化していて、薬きょうで作った灰皿なんかを買ったような・・・。
次の日は万座もうからムーンビーチへ行った。
二人でナンパしようとして二人ずれの女の子に声をかけた。
大阪からきているらしく、それ以上の進展はなかった。
ビーチのホテルは高いので、近所の民宿に二人で泊まった。
翌日はまた北上して名護から本部に行った。
海洋博の跡地だがもう人もまばらで閑散としていた。
大きなホテルの先に港があって、そこから伊江島に渡った。
足がないのでレンタカーを借りた。
僕はまだ運転免許がなかったが相棒が運転した。
彼は僕より若かったがすでに免許を持っていた。
那覇ですでに気がついていたのだが、あちこちに「車は左」という標識がたっていた。
沖縄返還後すでに6年が経っていたが、それまでは車はアメリカ式の右側通行だった。
どういうわけか、走っている車のほとんどがマツダ車だった。
伊江島で借りた車もマツダの左ハンドルだった。
走りついたところがサトウキビ畑の行き止まりだった。
農夫が向こうの方で作業をしていた。
そのうち、僕らの車のタイヤを取られて動けなくなった。
その時、突然、「ブー!ブー!」という爆音が・・・。
その爆音は僕たちに向かってきた。
耳を劈くような音、音、音。
その瞬間、小型の戦闘機が僕らを狙い撃ちした。
勿論、音だけだが、怖くてしりもちをついた。
音だけではなく、僕たち目掛けて急降下。
「ブブブブ・・・。」
彼らにとっては訓練飛行だろうが・・・。
こんなことが毎日繰り返される。
戦後70年間、伊江島では途切れることなく爆音と急降下が続いている。
最近、その伊江島のアメリカ軍を増強するという。
いっそのこと、全ての米軍基地を東京湾に持ってくればいい。
ついでに、原発も一緒に。
その敷地内に内閣全ての家族が住むことを法律で定める。
国会が近くなっていいではないか。
本気でそう考える僕は間違っているだろうか?
そういえば、彼は山梨県から来ていた。
「大月変調クラブ」というロゴのはいったジャージを着ていた。
アマチュア無線の同好グループだという。
東京へ帰ったら自衛隊に入ると言っていた。
あれから彼はどうしただろうか?
僕はその後2年で大学を卒業して、その後は北海道へも沖縄へも行っていない。
彼とは多分住所の交換はしただろうが、それっきりだ。
ケイタイもメールも何も無い時代。
思えば、沖縄では雨ばかりで結局、4月に突入して新学期が始まった。
急いで帰らないといけないので、東京までは飛行機で帰ることにした。
生まれて初めて乗る飛行機。
僕はそん時すでに22歳を過ぎていたので、スカイメートには無理だった。
スカイメートとは22歳未満で空席があれば半額で乗れる制度。
なんとか、保険証の生年月日を消して書き直して、こっそりスカイメートで搭乗した。
二階席があるジャンボジェットだった。
変なことばかり思い出してしまったが・・・。
yahoo Japanの地図で伊江島を検索してみたら、意外なことが起きた。
本部のどこから伊江島へ渡るフェリーが出ていたかを確かめたくて伊江島を拡大してみてもできない???
本部のあたりは拡大できるのに伊江島は拡大できない?
伊江島には米軍基地があるからだろう。
こんなところにも米軍の圧力の手が伸びている。
秘密保護法・安保法案に始まり、辺野古に基地をアメリカ軍のために作ってさしあげる。
全額日本国民の税金で作ってさしあげるのだ。しかもその中は治外法権。
未だに日本はアメリカの植民地。