先日、姉が送ってくれた写真。
実家を整理して出てきたという。
子供の頃の写真と通信簿。
小学6年生の時の通信簿。
担任の先生からの一言が書かれている。
その字の中に「小心者」という文字を見つけた。
僕は小学1年生までは大阪で、2年生から和歌山。
5年生でまた大阪。
6年生で滋賀県に転校した。
6年生で転校した日を忘れない。
気が小さくて、まさに小心者だった僕はトイレの場所を聞けなかった。
転校生に興味津々の皆が僕を取り囲んだ。
そのまま、動けずに座ったままオシッコを漏らしてしまった。
皆が手を上げて発表するのに、僕は手も上げずモジモジ・・・。
そんな僕に「小心者」という言葉が家庭への通信欄に書かれていた。
それに対して、僕は憤りも感じない。
正しい評価だから・・・。
今でも、人前で話すのは苦手。
5年前、新郎の父として結婚式のクライマックスでのスピーチは何度も練習をした。
結果、自分でも不思議なくらいに完璧にできたのは嬉しかった。
でも、もう二度と嫌だ。
結婚式では、過去にも友人の新郎の主賓としてスピーチしたことがある。
もう20年くらい前のこと。
あまり準備していなかったのと、宴が始まって一番最初の出番で焦ってしまった。
新婦の主賓のスピーチを聞いて、「失敗した」と思った。
なるほど、主賓の挨拶は新郎や新婦を褒めちぎるものなんだと気がついた。
「切れる」「破れる」「分かれる」という禁句ばかりに気を使っていた。
気がついたら僕のスピーチは終わっていて、一言も褒め言葉がなかった。
これ以降は結婚式でのスピーチはなかったが、請われても断っていただろう。
そんな気弱な若者が還暦を過ぎて多少はズウズウしくなったかもしれない。
度胸はやっぱりないが・・・。
今は喘息に対して気が弱くなっている。
これだけはどうしようもない。
なんとかしたいと思ってこのブログを始めたのだが・・・。