その分、人知れず亡くなっていることも多い。
特に、都会のマンションやアパートでは亡くなってから数ヶ月発見されないこともある。
「孤独死」という言葉も昔はなかった。
僕の住む田舎町でも、廃屋が増えている。
子供達は独立して都会暮らしで、連れ合いを亡くしたあとは老人の一人暮らしになる。
二人で生活していた頃よりも怠慢になって外出もせず、庭の草は生え放題。
子供や孫が訪ねてくることも段々と遠のく。
近所付き合いはあっても、それも億劫になってくる。
脳卒中や心筋梗塞の突然死・・・。
救急車で運ばれて救命されても、半身不随になって遠方の家族を巻き添えにする・・・。
でも、人間は独り残らず、誰もが一人で生まれて一人で死んでいく。
皆に囲まれ看取られて死んでいくのが本当にいいことなのかどうか?
動物は暗いところで一人で死ぬ。
僕は「孤独死」が最高の死に方だと思う。
僕の喘息の発作が突然起きて救急車も病院も間に合わず、家か救急車の中で死ぬ。
苦しむのは嫌だが、「癌」で何年も脅えながら生きながらえるのも苦痛。
僕が死んだら、子供の誰かがこのブログを発見するかもしれない。
そん時はそん時で、父親が何を考え、何を期待しながら余生を送っていたかを読みきってほしい。
それと、「喘息には薬は要らない、漢方を続ける」ことの意義を伝えてほしい。