2017年06月13日

何をもって「生きている」と言えるのか?

僕のお客さんで30歳くらいの女性がいる。
20くらいから背中が曲がり始め、今では自力で呼吸もできない。

もう入院して何年だろう・・・。
3ヶ月ごとに入退院を繰り返す。
3ヶ月で病院から追い出されるから・・・。
何年か前の小泉さんの規制緩和からそうなったらしい。

今では、気管に穴が開けられてそこから人工呼吸器に繋がっている。
食事も出来なくなって、胃婁。

何年か前までは入院中でも、退院することが目標だった。
ベッドの側に立ってはスクワット。
頑張っていたが、徐々に呼吸が難しくなってきた。

筆談もしなくなった。
妹さんの話では、最近は表情も無くなってきたらしい。

2ヶ月前にはお母さんが胆のう癌で他界した。
お父さんも高齢で運転免許証を返納した。

だから、家族が来ることもほとんどない。
僕は何年も面会には行っていない。

今ではメールも来なくなった。
そのメールに「死にたい」と書かれていることもあった・・・。

行くべきかどうか?
会って励ますこともできないし・・・。

息することも食べることもままならない。
自力では何もできない。

僕は喘息でも今のところは自力で息が出来る。
ご飯も食べられる。

彼女にとっては、生きた心地がしないのだろう・・・。
「生きる」て何だろう?

女性ならオシャレもしたいだろうに・・・。
人工呼吸器に繋がれていてはトイレにも行けない。
おっつけ、ベッドでの排便・排尿。
臭いも半端じゃない。
髪の毛もそのままだ。
もう本人も散髪を希望することもなくなった。

この女性のことを考えると、いつも「生きる」て何だろうと思う。
posted by ままちゃん at 07:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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