病院側はテレビで謝罪。
しかし、
もしも、6年前に癌治療を開始していたらと思うとゾッとする。
手術・抗癌剤・放射線で患者さんは苦しみぬいて、
手術で摘出できても再発に脅え抗癌剤に苦しみながら2年後に亡くなる。
癌を見落としたから4年間長生きできたとすれば・・・。
もしも、6年前に癌ですと告知して、癌治療を拒否していればもっと輝かしい結果が待っていただろう。
今も元気に生きていたかもしれない。
癌の早期発見がいかに虚しいものか。
華岡青洲という江戸時代の医者が乳癌患者の手術をやったという記録がある。
そんな時代にも乳癌があった?
乳癌は牛乳が原因ではなかったのか?
そのうちの一人で60歳を過ぎた老婆。
乳癌だけでなく、脚気も患っていた。
脚気はビタミンB1欠乏症。
白米を食べる習慣で始まった。
この老婆は裕福な家庭の人だっただろう。
地方の貧乏人は玄米を食べていたから脚気はなかっただろう。
裕福な家庭の人は農作業もないから運動が足りない。
そこへきて、ビタミンB1も足りない。
当時は乳幼児の死亡率が高かったし避妊の方法もなかったから、一生に8人子供を産むことだってあった。
多産でビタミン欠乏。
当時で、60歳は高齢だ。
犬だって、昔はフィラリアで5歳くらいが寿命だった。
今ではフィラリアが予防できるので、避妊手術をしておかないと、10歳前後で乳癌になる。
まさか人の避妊手術はありえないだろう。
ただ、江戸時代にも乳があったことに驚いている。
多産によるホルモン異常か、ビタミン不足か?
地方の貧乏な百姓にも乳癌があったかどうかはわからないままだ。
当時は菜食で肉なんて食べることもなかった。
魚だって今のような重金属汚染はなかった。
診断医学がまだ未熟な時代にあって、乳癌で死んだとはいいきれるのだろうか?
乳癌が弾けても生き続ける人を僕は知っている。
外部への出血や化膿では人は死なない。
転移していたかどうかは藪の中。
肺へ転移して死んだなら、「乳癌で死んだ」とは言わずに「肺病で死んだ」となるかもしれない・・・?
粗食だったあの時代に乳癌があったことに驚く。
裕福な家庭と貧乏な家庭では癌の発症率は大きく違っていたかもしれないが・・・。