壮絶な日々が書かれている。
作家になっても食べていけるほどの筆致だ。
ネットで名前を検索しても、その後のことは何もわからない。
もっとも、ペンエームかもしれないが・・・。
雲水修行の日々のことが書かれているのだが、
「後記」のところに、書かれていることに引き込まれた。
雲水修行が終わっても日々はなにも変わらないが、変わったことが二つあるという。
「必要以上に多く食べることをしなくなった。」
「必要以上に深く考えることもしなくなった。」
この二つのことは僕の心にジンときた・・・。
千日回峰行を2回おこなった人の書いたエッセイも読んだ。
やはり、同じようなことを書いている。
普通は一人残らず死んでしまうような荒行を何度も経験した人。
僕は単純な人間だからこんな行ができたと述懐している。
謙遜した言葉だろうけど、半分くらいは本当だろう。
どこをどう読んでも特別なことは何一つ書かれていない。
パラダイムシフトどころか、当たり前のことしか書かれていない。
つまり、大業を成すには特別のことは何一ついらなくて、当たり前のことを当たり前にすることだと教えられた。
僕は喘息を治そうとして、あらゆることを試行してきた。
でも、その度に、疑ったり、考え込んだり・・・。
その結果は何も生まれなかった。
千日回峰行は誰にでもできることではない。
雲水修行だって、毎日白装束(死装束)だし、死んだ時の葬儀代金として、お金を託してある。
逃げ出さない限りは、死ぬか病気で断念するしかない。
おそらく、喘息で断念した人も過去にはいただろう・・・。
それほどの荒行の後で悟ったことが、「食べ過ぎないこと」と「考えすぎないこと」だったとは・・・。
今の世の中は物質と情報がありすぎて、皆が右往左往している。
食べ物だって伝統食でいいし、物を持てばまた物が欲しくなる、際限がない繰り返しだ・・・。