2018年10月19日

僕の若い頃の食事

僕は子供の頃から痩せていて身体は弱かった。
子供の頃に兄弟と一緒に母の側で昼寝をすることがあった。
でも、僕だけが薄目を開けていつまでも起きていた。

朝は目がさめてもすぐには起きられない。
成人してからも、目がさめてしばらくは布団の中でいる。
すぐに起き出すと立ちくらみがするのだ。

この立ちくらみは中年になってからも続いている。
高校生まではちょくちょく鼻血をだした。

高校1年の時に野球部に入ったその日。
練習が終わってトイレでオシッコをしていた時に鼻から血が流れ落ちた。
翌日、部を止めることを告げた。

言うまでもなく、その後の3年間はグラウンドを見るたびに悔しい思いが蘇った。
幸い、クラスに親友ができた。
彼は還暦を過ぎた今でも家族ぐるみの付き合いだ。

大学でも野球部に入ったものの、北海道の大学ではシーズンが9月で終了する。
その後は授業のつまらなさもあって、大学へ行かなくなった。
その理由に、朝起きられないという僕特有の事情があった。

朝は低血圧だか低血糖だかで気分がすぐれない。
下宿も朝食は納豆・味噌汁・ご飯だった。

子供の頃に食事は母が栄養を考えて作ってくれた。
高校からはお弁当で美味しかった。
お肉も入っていたように思うが・・・。

魚が嫌いで、野菜も嫌い。
具沢山のお味噌汁も嫌いだった。

刺身とほうれん草のお浸しやお茶漬けなどのサッパリしたものが好きだった。
お肉は高くて毎日は食べない。
好きだったカレーライスにもお肉はちょっぴりだったと思う。

就職してからは自炊と外食だった。
とにかく、ご飯がメインで蛋白質の足りない食事を続けていた。
大阪で生まれそだったので、粉物が好きだった。

妻と知り合った頃に僕が作ったチャーハンに妻が言った言葉。
「蛋白質が入っていない?」

独り暮らしのときにも良く作ったチャーハン。
卵は入れても肉を入れないチャーハン。

妻と結婚してから、気がついたことがある。
どんな料理にも肉が入っている。
妻の口癖は「蛋白質」。

朝起きれないのも、今から思うと栄養失調だったのかもしれない。
ご飯のおかわりをすると母は喜んだ。

独り暮らしの後、家族で暮らし始めて、体重が58キロまで減った。
それは仕事のストレスだったが、結果的に72キロまで太った。

今では、朝は6時過ぎに起きる。
すぐにトイレ・出勤。
睡眠期間は4時間くらいのときもある。

痩せたくないので、炭水化物を抜くのは辛い。
でも、夕食に炭水化物を抜くと、夜中のゲップや喉の違和感が少ないように思う。
昨晩の夕食はチキンと瓜のスープだった。
ご飯を食べない僕に妻は怒ったような顔。

MEC食は僕にとっては救世主のような気がするのだが・・・。

posted by ままちゃん at 08:43| Comment(0) | 糖質制限 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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