2019年11月29日

喘息完治への道、中間報告

2004年の暮れにツベルクリンにて結核が陽性だった。
子供の頃にはいつも陰性だったので何度かBCGという痛い注射を上腕に打たれていた。
いつも陰性とは、BCGで結核菌を身体に注射しても、免疫力が弱いのか結核にたいする抗体価が上がってこない体質。
でも陽性反応ではないから結核に感染はしていない。

僕はフィリピン・スリランカの生活から8年ぶりに帰国したのが1996年1月。
そっからは日本に在住。
8年ぶりのツベルクリン検査で陽性。

多少は咳が出るていどで生活に支障はない。
どういうわけか、その総合病院ではツベルクリンは小児科だった。
結果を見たそのおじいちゃん医者は「咳は出ますか?」「はい」と答えると、即座にマスクをした。
呼吸器内科へ回されて、そこでこれからの長いことお世話になる主治医にあった。

血液検査でコレステロール値も高かったので、スタチンを処方。
結核の薬として抗生物質を2種類一日3回。
6か月間続けた。
そのころから胸やけが始まった。

6か月がたって、抗生物質が終わるころに、夜中に発作。
運転免許センターでは分煙ができていなくて、禁煙してる僕にタバコの煙は地獄だった。
そんなことが一年に何度か経験する。
主治医に言うと、「あなたは喘息かもしれませんね。」

僕にとって、「喘息」とは初耳だった。
弟が小児喘息で、成人した今でもタバコをやめられないで喘息とは決別できていない。

去痰剤やら、気管支拡張剤やら、抗ヒスタミン剤やらで何年かを過ごした。
2009年に4日間の中国旅行やら3日間の香港旅行で、帰国後に発作。
それからは、ステロイド吸入続けるをことが始まった。

その後も夜中の発作を何度か経験する。
平生は自分が喘息だとは忘れるくらいに普通に暮らしている。
夜中に突然襲てくる発作。
だから、平生はステロイド吸入なんか忘れることが多かった。

その4年後の2009年の9月の夜中。
発作で息ができない。
妻に運転してもらって総合病院へ。

そのときからは、朝晩のステロイド吸入と就寝前の抗アレルギー剤。
苦しい時には気管支拡張剤・去痰剤・メプチン・・・。
それを2年半忠実に続けた。

その間は地獄の苦しみだった。
治るどころか、一日中で続ける痰・昼間でも発作・・・。

漢方に頼ったこともあった。

2年半経ったときに考えた。
このまま、死ぬまでこの薬で苦しい生活を送るのかと酷く落ち込んだ。
おカネもかかるし、通院で仕事も休む、夜中に何度救急で病院へ行っただろうか?

「えーい」と、きれいさっぱり薬から解放されることを選んだ、自己責任で・・・。
それから、3年8か月・・・。

完治はできていないが、それに向かいつつあるという自負はある。
この3年8か月のことについては今までにも何度か書いている。
ここで、系統だった文章で残してみたい。

次回にはこの続きを書こう。
posted by ままちゃん at 08:58| Comment(0) | 喘息 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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