2019年01月06日

友人のくクモ膜下出血

僕は最近はもう年賀状を書かなくなった。
そこで、知り合いに電話した。

携帯にかけたら、「現在、使われておりません」と・・・。
自宅にかけたら、奥さんがでた。
「主人は昨年の10月に倒れて、そのまま今も入院しています。」

クモ膜下出血で、今では気管切開しているという。
意識もない状態だという。

ショックだった。
僕よりも7歳くらい上だ。
大型犬を飼っていて、釣りにも行く健康体だったのに・・・。

その直前に電話した友人にも、会いたくないと言われてしまった。
彼は定年の頃に脳にできた腫瘍を摘出してからは、仕事ができる体ではなくなってしまった。

それ以来、家族と離れて一人暮らし。
耳も目も半分が不自由で、バスも車もダメで、一人で30分歩いて買い物に行くらしい。

僕だって、そんな状態なら、誰とも会いたくないだろう。

見栄を張って、尊厳を持っていて初めて「生きる」と言えるのだろう。
明日の希望もなく、老いていくのは辛いが、それが現実か・・・。
posted by ままちゃん at 19:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月02日

正月早々のガス欠

昨日の元旦は神奈川の長男の新居へ行った。
元旦早々に教会での朗読の順番が巡ってきた。
運がいいというか、こればっかりは順番だから・・・。

昨日は帰りに車のガソリンが残りマーク2本だった。
今朝は早朝に職場へ行く時には、残り1本だった。
夕方も行きは1本だったが、帰りには、「ピン」と鳴って「給油してください」とモニターに出た。

それからも5キロキロくらいは走っている。
自宅まではまだ3キロはある・・・。
満タンで40リッターとして、マーク1本が5リッター。
僕の車の燃費はリッター当たり14キロくらい・・・。
職場への往復が15キロくらい。

怖くなって、妻の電話。
イオンのガソリンスタンドは開いてるか?
でも、妻も知らない。

思いついたのが、お客さんの自動車修理屋さん。
ハイブリッド車はまだ余裕があるらしいが・・・。

電話している最中に、街の小さなガソリンスタンドの前を通過・・・。
行きは閉まっていたが・・・。
電気がついて誰かがガレージで仕事をやっている。

交渉して、満タンにしてもらった
よく見ると、うちのお客さんのお店だった。

ホッとした。
今年は元旦早々にいい事や悪いことが起きる。
でも、なんとか周りの人たちに助けられる。
そんな、一年になりそうだ。
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2018年11月26日

シャッターの故障

シャッターが重くて上がらないし下がらない。
そのせいで、僕の背骨が折れてしまった。

大家に言っても修理に余りカネをかけたくないと言う。
月々の家賃はちゃんと払って18年なる。
遅れたことは一度もない。
銀行からの自動引き落としだ。

見積もりによっては修理をしないような口ぶりだ。
店子の僕が支払うようなことではないだろう。

僕のお客さんに大工仕事をやっている人がいる。
20年ほど前に脱サラで建築業を始めたらしい。

その人に見積もりをお願いした。
二日で見積もりを頂いた。
9万円ちょっとで、それほどの大金ではないが・・・。
大家さんが納得すればすぐにでも始めてくれるのだが。

僕達の職場は商店街のど真ん中だ。
でも、ほとんどがシャターが降りている、「シャッター街」だ。

シャッターが半分降りたままだから、お客さんは減ってしまった。
なんとか、この見積もりで納得してもらわないと、僕達の収入にも響いてくる。

このテナント店舗は大家さんの両親が2代目だった。
奥さんはもう10年以上前に亡くなった。
ご主人も3年ほど前に亡くなった。

つまりは、僕たちが支払っている毎月の家賃はどこに消えているのか?
よくわからないが、この店舗の名義はおじいちゃん名義のままらしい。
名義を変更するには、一族の全員の許可が要る。
うまく名義が変更されても、税金の督促がくるだけで、何もいいことがない。
だから、誰も手をつけないでいる・・・。

そんな店舗や家屋や土地が日本には九州に匹敵するくらいあるという。
家のローンだって、自分が所有することに意義があるわけで、所有権を放棄するなんて・・・。

考えられないことだが、今では当たり前になってきている。
どこかおかしいこの世界。
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2018年11月15日

知人の死

僕は30年前から生命保険に入っている。
外資系の保険で10年で掛け捨て。

だから、もう3回以上は更新している。
前回は保険料が上がりそれと支給体形が変わった。
それが2年ほど前だったろうか?

その保険屋さんに会ったのはそれが最後だった。
自宅に事務所を構えて仕事をしていた。
僕と同じ年。
元気そうだった。
ご他聞に漏れず、彼も娘さんが引きこもりで悩んでいた。
注意すると刺されそうだと言った。

今日は突然に、以前は彼と同じ職場でいましたという人物から手紙がきた。
彼が9月10日に亡くなったという。
彼も詳しいことは知らないで、奥様から仕事の引継ぎを頼まれたという。

突然のことで当惑した。
保険の仕事はさぞかし楽だろうなと思っていた。
外資系だけではなく、合併に合併の業界だから、辛いこともあったのだろう。

心臓だとか肝臓だとからしいが・・・。

治らない喘息に一喜一憂している僕なんか暢気なものだなあと思う。
これでも、僕なりに必死で闘病しているつもりだが・・・。
同年代が次々と消えていくのが寂しい。
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2018年09月13日

停電で乳房炎?

北海道の地震でまだ停電しているところがある。
停電すると乳が搾れない。
パンパンに張った乳房が乳房炎になるという。

手で搾ることも可能だが・・・。
手が間に合わないほど頭数が多い。
もっとも、手が疲れてしまうだろう。

停電すると、乳が搾れても、搾った乳を冷蔵できないから、搾らない。
悪循環。

そもそも、手で搾れないくらい多くの頭数でしか経営が成り立たない。
飼料は輸入。
搾乳は電気。
うまく搾れて冷蔵できても、道路が寸断されては集荷のタンクローリーも来ない。

重油がなくなればハウスの野菜も果物も全滅する。
僕達の食べ物はどこから来ているんだろうか?
もう一度、確認してみる必要がありそうだ。

安全性以前の問題であろう。
食の流通の脆弱性が露呈している。

貧乏しても有機の露地栽培で頑張る若者を応援しよう。
彼らこそが日本の食の将来を担っている。
その苦労を考慮すれば、スーパーの3倍の値段で買ってあげよう。

秋山佳胤さんという不食の人が言っている。
全世界の人達が食べる量を減らせば、アフリカの子供達の飢餓はなくなる。
名言だ。
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2018年08月27日

孤独死と断捨離

遺品整理士という方がいる。
亡くなった人の遺品を整理処分する。
一人暮らしで亡くなった人だけではないらしい。

遺品の中には想い出深いものがいっぱいある。
それ故に、遺族はにとっては捨てがたい。
それを遺品整理士さんと一緒に片付ける。

孤独死も増えているが、僕は「孤独死」という言葉があまり好きではない。
人は一人で生まれて一人で死んでいくんだと思う。

一人寂しく死んでいくと言うが、死んでいくのはいつも寂しいもの・・・。
倒れて、発見されて、救急車、入院・・・。
その後は寝たきりか半身不随か・・。
本人も家族も人生を犠牲にすることになる。

どっちがいいのかは僕にもわからない。

僕もいい加減に断捨離をして、身軽にならなければ・・・。
そうすることで、踏ん切りがつくし、部屋も広くなる。
部屋に物がなくなれば、掃除もしやすい。

還暦を過ぎて、これから1年間に使わない物は捨てよう。
さあ、できるかどうか・・・?
posted by ままちゃん at 07:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月25日

死ぬほどの修行後の悟り

雲水だった人の修行日記を読んだ。
壮絶な日々が書かれている。

作家になっても食べていけるほどの筆致だ。
ネットで名前を検索しても、その後のことは何もわからない。
もっとも、ペンエームかもしれないが・・・。

雲水修行の日々のことが書かれているのだが、
「後記」のところに、書かれていることに引き込まれた。

雲水修行が終わっても日々はなにも変わらないが、変わったことが二つあるという。
「必要以上に多く食べることをしなくなった。」
「必要以上に深く考えることもしなくなった。」
この二つのことは僕の心にジンときた・・・。

千日回峰行を2回おこなった人の書いたエッセイも読んだ。
やはり、同じようなことを書いている。
普通は一人残らず死んでしまうような荒行を何度も経験した人。

僕は単純な人間だからこんな行ができたと述懐している。
謙遜した言葉だろうけど、半分くらいは本当だろう。

どこをどう読んでも特別なことは何一つ書かれていない。
パラダイムシフトどころか、当たり前のことしか書かれていない。
つまり、大業を成すには特別のことは何一ついらなくて、当たり前のことを当たり前にすることだと教えられた。

僕は喘息を治そうとして、あらゆることを試行してきた。
でも、その度に、疑ったり、考え込んだり・・・。
その結果は何も生まれなかった。

千日回峰行は誰にでもできることではない。
雲水修行だって、毎日白装束(死装束)だし、死んだ時の葬儀代金として、お金を託してある。
逃げ出さない限りは、死ぬか病気で断念するしかない。
おそらく、喘息で断念した人も過去にはいただろう・・・。

それほどの荒行の後で悟ったことが、「食べ過ぎないこと」と「考えすぎないこと」だったとは・・・。
今の世の中は物質と情報がありすぎて、皆が右往左往している。
食べ物だって伝統食でいいし、物を持てばまた物が欲しくなる、際限がない繰り返しだ・・・。
posted by ままちゃん at 16:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月17日

寂しい日々

先月の24日に亡くなった愛犬。
これで、猫が6匹、犬が2匹亡くなった。

もう我が家には猫も犬もいなくなった。
今からでは飼うに飼えない。

僕たちが先に逝ってしまうだろうから・・・。
今年のお盆はみんなのお骨を飾った。

それも、今週で元の場所に戻す。
お墓に入れるのが嫌で、いまだに居間に置いてあるのだが・・・。

それに加えて、妻が11月に旅行することになったが、僕は喘息が治りきらないので一緒に行かないことにした。
代わりに娘が行くことになった。

昨年の秋にも妻はアメリカからヨーロッパへ旅行している。
僕は行かなかった。
何故に一緒に行かないのかが理解できないようだった。

・・・。
喘息がネックだ。

僕は息苦しくても外見は何ともない。
だから、誰にも、妻にも、僕は病気じゃないように見える。
それが、辛い・・・。

一緒に行きたいのに行けない・・・。
最近は妻とも話をしなくなった。
ついつい、僕が癇癪を起こしてしまう。
この息苦しさが原因だ。

二人で外食することもなくなった。
妻は不満だろう。
いつになったら、僕の喘息が治って、この寂しさから解放されるのだろう?

昔は一人でいることが苦痛ではなかった。
むしろ、自分勝手にできるから楽だった。
最近は違う。
無性に寂しい。

治らない慢性病を抱えて先が見えずに、「うつ」に陥り、人生に意味を無くす人がいることをひしひしと感じる。
震災で亡くした家族を思い、言い切れない寂しさに押しつぶされそうになる人達がいる。
それに比べれば、僕の悩みなんか・・・。

でも、寂しい。
posted by ままちゃん at 09:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月30日

見たくないもの

茶髪・ピアス・刺青・覚せい剤への連鎖。
茶髪はもう今や古い部類になった。

ピアスは男でも最近は見かける。
若者の腕や首や足の刺青もよく見かける。

ただし、気持ちのいいものではないし、不愉快な気分にさせられる。
挙句の果てに覚せい剤にまで行ってしまうのもいるだろう。

話は変わるが、僕の母親は2003年に亡くなった。
2011年の大津波は見ていない。
良かったと思う。

あの地獄のような光景をテレビで見ていたらと思うとゾッとする。
刺青なんて見たくもないし、それが当たり前の世の中になったら、僕はこの世にオサラバしたい。

見たくないものを見せられるのはもうゴメンだ。
僕はそんなものを見てしまうと、無口になって無表情になる。
他人を不愉快にするようなトレンドにはこちらから去るしかないだろう・・・。

posted by ままちゃん at 16:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月24日

愛犬の死

シーズーの愛犬が死んだ。
15歳と8ヶ月だった。
ここ3ヶ月ほどは極度の肝臓疾患だった。

低血糖で痙攣したりで目が離せなかった。
犬を室内で飼うのも服を着せるのも始めての経験だった。

2003年の4月9日に、大きなペットショップで買った。
生後4ヶ月。
みんなはガラス張りのケージの中にいるのに、この子だけがサークルに入れられていた。

4ヶ月で売れ残っていたらしい。
係りの人がサークルから出すとそこらじゅうを走り回って嬉しそうだった。
買ってしまった。

その1週間後は僕たちの結婚20周年だった。
なんの用意もなく過ぎた。

その1週間後に僕の母が亡くなった。
だから、この三つの連続する出来事は未だに忘れない。

妻がこれほど泣くのを見たことがない・・・。
この子は朝から晩まで妻と一緒だった。
毛を刈るのもシャンプーするのも妻。

食べ物は全て妻の手作り、というか僕たちの残り物。
乾燥したドッグフードはほとんど与えなかった。
それが長寿の秘訣だろう・・・。
食べ物の好き嫌いが激しい子だったから妻を困らせた。

2009年に飼い猫が1匹。
2013年には飼い猫が3匹と飼い犬が1匹。
2015年には飼い猫が1匹。
2016年には飼い猫が1匹。

もうこれで終わりだろう。

今度は僕か妻の番だ・・・。
母がよく言っていた言葉、「会うは別れの始まり」・・・。
posted by ままちゃん at 12:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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